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福岡地方裁判所 昭和61年(行ウ)15号 判決 1989年9月29日

主文

一  原告の被告法務大臣に対する訴えを却下する。

二  原告の被告国に対する各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

(当事者の求めた裁判)

第一  原告の請求の趣旨

「原告の昭和六一年五月三〇日付再入国許可申請に対し、被告法務大臣が同年六月二四日付をもってなした再入国不許可処分(以下『本件処分』という。)を取り消す。原告と被告国との間において、原告が『日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定』(昭和四〇年条約第二八号。以下『日韓地位協定』という。)及び『日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法』(昭和四〇年法律第一四六号。以下『出入国管理特別法』という。)に基づく日本国における永住資格(日韓地位協定・出入国管理特別法に基づく永住許可を『協定永住許可』といい、この許可を受けた在留資格としての永住資格を『協定永住資格』という。以下同じ。)を有することを確認する。被告国は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和六一年六月二四日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決及び給付部分につき仮執行の宣言

第二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

一  本案前として「本件各訴えを却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

二  本案につき「原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決及び給付部分につき仮執行免脱の宣言

(当事者の主張)

第一  請求の原因

一(原告の地位・経歴)

1  原告は、昭和三四年一二月一日、大阪市東淀川区において、父崔昌華・母金貞女の長女として出生した。父方から見て在日二世、母方から見て在日三世の韓国人である。

2  原告は、出生以来、日本国に居住しており、昭和四四年一〇月一日、協定永住許可(許可番号第一二五六九四号)を受けた。

3  原告は、北九州市立貴船小学校・私立西南女学院中学校・同高等学校を卒業後、昭和五四年愛知県立芸術大学音楽学部器楽科(ピアノ専攻)に入学、同大学卒業後、同大学大学院修士課程音楽研究科器楽科(ピアノ専攻)に進み、昭和六〇年卒業した。

4  原告は、右大学院在学中、米国インディアナ州の州立インディアナ大学大学院のジョルジュ・シェボック教授(国際ピアノ・コンクールの審査員を勤める国際的ピアニスト)の知遇を得、指導を受けることになり、昭和六一年五月、同大学大学院音楽研究科(ピアノ専攻)の入学許可を得た。

二(本件処分)

原告は、昭和六一年五月三〇日、福岡入国管理局小倉港出張所において、被告法務大臣に対し、出入国管理特別法第七条、出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)第二六条第一項に基づき、右大学留学を目的として再入国許可申請をした。

被告法務大臣は、右申請に対し、昭和六一年六月二四日付で本件処分をし、原告に通知した。

三(本件処分の違法性)

1  本件処分は、原告が昭和五六年一月九日に外国人登録法(昭和六二年法律第一〇二号による改正前のもの。以下「外登法」といい、改正後のものを「外登法改正法」という。)第一四条第一項所定の指紋押捺(以下、単に「指紋押捺」というときは、同条所定のものをいう。)を拒否したことを理由とするものと思われる。

しかし、原告は、日本国で生まれ育ち協定永住資格を有する在日韓国人である。原告の海外渡航の権利は、日本国憲法第二二条及び「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(昭和五四年条約第七号。以下「国際人権規約B規約」という。)第一二条第四項の「自国に戻る権利」により基本的人権として保障されている(同条約にいう「自国」には、永住資格を有して定住している外国人にとっての当該定住国を含む。)。

他方、指紋押捺制度は、それ自体、日本国憲法第一三条、第一四条、国際人権規約B規約第七条(非人道的な若しくは品位を傷つける取扱いの禁止)、第一七条第一項(プライバシー権の保障)、第二条第一項及び第二六条(法の前の平等)に違反するものである。本件処分は、右指紋押捺拒否を理由として、原告の基本的人権である海外渡航の権利を侵害するものであって、明らかに違憲・違法である。

2  更に、被告法務大臣は、原告の右指紋押捺拒否の後である昭和五六年四月六日、原告が在日大韓キリスト教アリランコーラスのピアノ伴奏者として随行するための米国渡航に関する再入国許可申請に対して許可を与え、原告は、これに基づき出国・再入国をした。

従って、本件処分における被告法務大臣の判断は、全く恣意的といわざるをえない。この点でも、本件処分は、違法の謗りを免れない。

四(協定永住資格存在確認)

1(協定永住資格の保有)

原告は、本件処分を受けたけれども、日本国における永住意思を明確に表明したうえで、昭和六一年八月一四日、海外へ渡航した。従って、原告は、右渡航後も、日本国における協定永住資格を保有している。

2(確認の利益)

しかるに、被告国は、原告が右海外渡航によって協定永住資格を喪失した旨主張し、原告の昭和六三年六月二八日の日本国への入国に際して特別在留(在留期間一八〇日間)の許可をしたのみで、右の主張に沿った取扱いをしている。

五(慰藉料)

被告法務大臣は、本件処分をしたうえ、このことに基因して原告の協定永住資格喪失の取扱いを続けている。本件処分とその後の協定永住資格喪失の取扱いが違法であり、このことは、被告法務大臣において当然知り、又は知りうべきことであるから、故意又は少くとも過失がある。被告国は、原告に対し、国家賠償法第一条により、原告の受けた損害を賠償する責任がある。

原告の出国目的は、ピアニストとして自己を完成することにあった。原告は、自己の将来の夢を奪われる不安、二度と日本に帰って来られないのではないか、家族とも会えないのではないかという不安、何時国外退去を求められるか分からないという不安など、人生目的や生活基盤そのものを失うかもしれないという多大な心労を味わった。原告の精神的苦痛は、誠に甚大であり、到底金銭をもって償いがたいものであるが、強いてこれを金銭に換算すれば、金一〇〇万円を下らない。

六 よって、原告は、被告法務大臣に対し、本件処分の取消しを求めるとともに、被告国に対し、原告が日本国における協定永住資格を有することの確認と慰藉料金一〇〇万円及びこれに対する不法行為の日(本件処分の日)である昭和六一年六月二四日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第二  被告らの本案前の主張

一(本件処分の取消しを求める訴え)

原告は、昭和六一年八月一四日、本邦から出国して在留資格を喪失したことにより、本件処分の取消しを求める法律上の利益を失うに至った。従って、本件処分の取消しを求める訴えは、不適法である。

1  原告は、出入国管理特別法第一条第二項に基づいて昭和四四年一〇月一日付で本邦における協定永住許可を受けていた。この協定永住許可を受けた者は、同法第六条により同条第一項各号に該当する場合でなければ退去を強制されない点ではその地位の安定が図られているが、その出入国及び在留については出入国管理特別法に特別の規定があるもののほかは入管法によるとされているから(出入国管理特別法第七条)、協定永住資格も、結局、入管法第四条に定める在留資格の一態様と見るべきであり、本邦に在留していることが当然の前提である。従って、協定永住資格者であっても、再入国許可を受けずに本邦から任意に出国した場合には、その前提が失われたものとして、当該協定永住許可は当然に失効するというべきである。

2  原告の協定永住許可は、原告が再入国許可を受けずに本邦から出国した昭和六一年八月一四日の時点で当然に失効したものというべく、これにより、原告は、本邦における在留資格を喪失したというべきである。

3  そうすると、仮に本件処分が取り消されたとしても、原告には在留資格の存在を前提とする再入国許可処分を受けうる余地はないから、原告は、在留資格の喪失により、本件処分の取消しを求める法律上の利益を失うに至った。

二(協定永住資格確認を求める訴え)

協定永住資格確認を求める訴えは、確認の利益を欠く。

1  既に本件処分取消訴訟が係属し、その訴えの利益の有無の関係で、原告が現在協定永住資格を有するか否かが争点となり、審理がされている。それに重ねて確認の訴えを認めることは、いわば二重起訴禁止の原則に抵触するものというべきである。

2  本件確認の訴えによって解決すべき紛争の成熟性が認められない。

原告は、昭和六一年八月一四日に本邦から出国し、昭和六三年六月二八日、再び本邦に入国し、現に在留資格を与えられており、退去強制の不利益を課せられているわけでもない。しかも、そのような不利益を課せられてから事後的に協定永住資格の有無の存否を争ったのでは回復しがたい重大な損害を蒙る惧れがあるなど事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情も認められない。

三(国家賠償を求める訴え)

行政処分取消訴訟に行政事件訴訟法第一六条に基づき国家賠償請求を関連請求として併合提起するには、行政処分取消訴訟の適法性が要件となると解すべきである。本件処分の取消しを求める訴えが不適法である以上、関連請求である国家賠償を求める訴えも、不適法である。

第三  被告らの本案前の主張に対する原告の反論・主張

一(本件処分取消訴訟の訴えの利益)

1(協定永住資格の存続)

原告の出入国は、国際人権規約B規約第一二条第四項によって保障された権利の行使である。従って、原告は、出国によって協定永住資格を失っていない。

本件処分は、例外的にこれを制限するものである。従って、本件処分が取り消されれば、原告の永住意思の表明と国家によるその確認の事実だけが残ることとなって、原告の権利行使の適法性が確認され、そのことによって原告の協定永住資格の維持も確認されることとなる。被告法務大臣は、本件処分が取り消されると、協定永住資格回復措置をとるべき法的拘束を受ける。原告にとって回復すべき法律上の利益がある。

2(原告の不利益の重大性)

外国人の在留は、本来、一時的なものであって、在留目的(活動内容)や在留期間(三年以下。但し、裁量による更新制度がある。)が限定されており、入国時の申請に対し個別的事情により裁量的に許可されるものであるが、協定永住資格者の場合は、目的・期間に制限がなく、歴史的な事情によって発生した定住という先行事実に対して確認的に協定永住資格が認められたものであって、日本国の帰責性により特に厚く保護されているものである。日本国籍を有しないとの点から、外国人の在留という形式をとるが、その実質は、一時的な滞在者としての在留とは質的に異なり、社会の構成員としての地位を認められているのである。

ところが、原告は、現在、被告法務大臣の本件処分があることによって、本件処分に抗して出国したものとされ、それ故に、その効果として、従前の日本国における法的地位を喪失したものと取り扱われている。原告の外国人登録は閉鎖されており、日本国と無関係になった者として、一切の法的諸関係において、従来の法的地位を抹消されたのである。

また、原告が当初から表明していた帰国については、本件処分に抗して出国した者、日本国と無関係になった者として、入国許可すら危うく、入国許可の在留資格・在留期間及び各種の法的権利は、協定永住資格に基づくものとは、比較にならない程劣弱なものとなっている。

このように、原告の受ける不利益は、原告が出生以来日本国において築き上げてきた人的・社会的・法的諸関係のすべての喪失であって、一旦出国した一時的滞在者が新規入国手続をとらずに従前の在留資格のままで再入国することができる便宜さとは比較にならない程重大なものである。

これがまさに本件処分取消訴訟の訴えの利益である。

3(司法救済の閉塞)

原告の求めたものは、何らの不利益な取扱いを受けることなく留学することであった。これに対し、被告法務大臣は、出国すれば協定永住資格の保全を認めないとの判断を下した。原告には、この不利益を排除し、且つ、留学を実現する有効適切な手段を与えられていない。救済手段としては行政訴訟の提起しかないが、日本国内に留まって訴訟を追行した場合、留学予定大学の入学許可取消等によって、留学自体不可能になる。また、そのこと故に、訴えの利益がないとされて、訴訟そのものが徒労に終る危険がある。

今また、被告法務大臣の主張を是として原告の緊急避難的出国を理由に訴えの利益を欠くというのであれば、原告の地位保全に関する司法救済はないに等しい。

二(協定永住資格確認訴訟)

1(二重起訴禁止不該当)

本件処分の取消判決は、その拘束力によって、被告法務大臣に原告の協定永住資格喪失取扱の回復措置を義務づけるものであるが、そうであるからといって、原告の現時点での協定永住資格保有を既判力をもって確定するものではない。本件確認の訴えは、これらの諸問題を一挙に解決しうることになるのであるから、本件処分取消判決を前提にしても、本件紛争解決のためには不可欠である。

2(紛争の成熟性)

協定永住資格は、二国間条約によって付与されたもので、期間、目的の制約を受けない在留資格であり、原告にとって日本国との権利義務関係・法律関係全般を左右する法的地位そのものである。原告は、一貫して協定永住資格を現に有しているものと主張している。これに対し、被告国は、原告の協定永住資格が昭和六一年八月一四日の時点で失効したと判断し、原告に対してこの主張に沿った不利益な取扱いをしている。即ち、被告国は、昭和六一年八月一四日、原告の出国に際し、原告の外国人登録を閉鎖した。被告国は、原告が昭和六三年六月二八日に帰国した際、原告の協定永住資格保有の主張を認めず、入国を拒絶して退去を求め、異議申立手続に対し、法務大臣の裁決の特例として特別在留許可という極度に限定した在留しか認めないという取扱いをした。法務大臣の裁決の特例は、正規の入国を許されない者に対する法務大臣の自由裁量による例外的救済措置であって、協定永住資格とは質的に相違するものである。在留期間更新の制度があるものの、その許否は、法務大臣の自由裁量に委ねられており、いつ更新を拒絶されるか分からない。原告は、勉学のため再び出国したが、再入国許可自体についても、協定永住資格の場合における好意的取扱いは保障されなかった。以上のように、原告は、出入国及び在留に限っても、協定永住資格保有とは比較にならない不利益な取扱いを経験し、不安定な法的地位を強いられている。本件の紛争は、最終的な争点である協定永住資格の有無が争われているので、十分な成熟性を有する。

三(国家賠償を求める訴訟)

仮に本件処分取消訴訟が不適法として却下される場合であっても、本件国家賠償訴訟は、独立の訴えとして審理判断すべきである。

1(関連請求の独立性)

本件国家賠償訴訟は、本来、別個の訴えとして提起しうる実質を有している。この実質は、たとえ行政事件訴訟法上の関連請求として提起したからといって失われるものではないというべきである。行政事件訴訟法第一六条は、単に併合要件を定めたに過ぎないのであって、関連請求の独立性を否定する趣旨を含むものではない。かえって、同法第一九条は、訴えの追加的併合と取下げにより訴えの交換的変更と同様の結果となることを許容しており、関連請求の独立性を認めていると解される。

2(訴訟経済上の要請)

仮に国家賠償訴訟を不適法として却下されれば、原告は、国家賠償訴訟の再訴をすべき煩と費用を強いられるほか、既に係属していた訴訟関係をも失うことになる。他面、被告国は、原告の再訴があれば応訴せざるをえないのである。

第四  請求の原因に対する被告らの認否

一(原告の地位・経歴)

1  請求の原因一1の事実のうち原告が父方から見て在日二世、母方から見て在日三世であることは知らない。その余の事実は認める。

2  同一2の事実のうち原告が出生以来日本国に居住していることは知らない。その余の事実は認める。

3  同一3、4の各事実は知らない。

二(本件処分)

同二の事実は認める。

三(本件処分の違法性)

1  同三1の事実のうち原告が昭和五六年一月九日に指紋押捺を拒否したことは認める。その余の主張は争う。

2  同三2の事実のうち被告法務大臣が原告の指紋押捺拒否の後である昭和五六年四月六日原告の米国渡航に関する再入国許可申請に対して許可を与え、原告がこれに基づき出国・再入国をしたことは認める。原告の右渡航が在日大韓キリスト教アリランコーラスのピアノ伴奏者として随行するためであったことは知らない。その余の主張は争う。

四(協定永住資格存在確認)

1  同四1の事実のうち原告が昭和六一年八月一四日海外へ出国した事実は認める。その余の事実は争う。

2  同四2の事実は認める。

五 同五の主張は争う。

第五  本案について被告らの主張(本案前の主張の敷衍を含む。)

一(本件処分に至る経緯)

1  原告は、昭和三四年一二月一日、大阪市東淀川区において、韓国人の父崔昌華・母金貞女の長女として出生した。当時、崔昌華は、本邦に不法入国し、不正に入手した外国人登録証明書(韓国人白章玉名義)を使用するなどして居住していた。そのため、原告は、同月一四日、白善愛という氏名で出入国管理令(昭和五六年法律第八六号による入管法改正により、現在は入管法第二二条の二)に規定する在留資格取得の申請をした。被告法務大臣は、原告に対し、同令第四条第一項第一六号、特定の在留資格及びその在留期間を定める省令(昭和二七年外務省令第一四号)第一項第二号(昭和五七年一月一日からは、入管法施行規則第二条第二号に同旨の規定がある。)に該当する者としての在留資格を認め、在留期間を三年とした。また、原告は、昭和三四年一二月一四日、神戸市灘区長に対して外登法第三条に基づく新規登録の申請をし、同区長は、即日これを認め、白善愛名義の外国人登録証明書を交付した。その後、原告は、福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)に転居し、昭和三六年一月三〇日、同市長に居住地の変更登録申請をした。原告は、氏名を白善愛としたまま、昭和三七年一二月及び昭和四〇年一二月の二回にわたり、父母との同居を理由とする入管法第二一条第二項所定の在留期間更新許可申請(以下、「在留期間更新許可申請」というときは、同条項所定のものをいう。)をしていずれも許可されるとともに、外登法第一一条第一項所定の確認申請(以下、「確認申請」というときは、同条項所定のものをいう。)をして、その都度新たな外国人登録証明書が交付された。

ところが、原告の父崔昌華は、昭和四三年九月二四日、下関入国管理事務所(昭和五六年四月組織改編により広島入国管理局下関出張所となっている。)に出頭し、前記の不法入国と白章玉名義の外国人登録証明書を不正に入手した事実などを申告した。同入国管理事務所は、同人につき入管法第二四条第一号該当容疑で退去強制手続を進めていたが、同人から被告法務大臣に対し入管法第四九条に基づく異議の申出がなされた。被告法務大臣は、審理の結果、同法第五〇条に基づき、特別在留許可を与えた。これに伴い、外登法上の諸申請がされ、新たに崔昌華としての外国人登録証明書が交付された。原告についても、昭和四三年一二月、崔善愛として在留期間更新許可申請及び確認申請がされ、いずれも認められて、新たな外国人登録証明書が交付された。

2  原告は、北九州市小倉区に居住していたが、昭和四四年六月一七日、いわゆる協定永住許可取得のため、日韓地位協定第一条1の規定に従い、昭和二〇年八月一五日以前から引き続き本邦に居住している金貞女の直系卑属であるとして、協定永住許可申請をした。被告法務大臣は、同年一〇月一日、これを許可した。原告は、昭和四六年一二月六日、北九州市小倉区長に対し、確認申請をした。同区長は、これを認めて、新たな外国人登録証明書を交付した。更に、原告は、指紋押捺を必要とする一四歳に達した後の昭和四九年一二月二日及び昭和五二年一二月二日、同市小倉北区長に対し、確認申請をし、その際、指紋押捺のうえ、新たな外国人登録証明書の交付を受けた。

なお、原告は、昭和四六年五月一二日親族訪問を目的とする韓国向け再入国許可申請をし、昭和五五年三月一日春季学生研修を目的とする韓国向け再入国許可申請をし、被告法務大臣は、いずれもこれを許可した。

3  原告は、昭和五六年一月九日北九州市小倉北区役所に出頭し、七回目の確認申請をした際、指紋押捺を拒否し、同区役所職員の度重なる説得にも応じなかった。そのため、同区長は、昭和五八年五月一四日、右の指紋不押捺につき外登法第一八条第一項第八号の罰則に該当するなどとして、福岡県警察小倉北警察署長に告発した。原告は、同年一一月二六日同法違反により福岡地方裁判所小倉支部に公訴を提起され、昭和六〇年八月二三日罰金一万円の有罪判決を受け、福岡高等裁判所に控訴を申し立てたが、昭和六一年一二月二六日控訴棄却の判決を受けた。このような状況下において、原告は、指紋を押捺することなく、昭和六一年一月四日、小倉北区長に対し、八回目の確認申請をした。その際、原告は、同区役所職員から再度指紋押捺を求められたが、前回同様これを拒否し、その後の説得にも応じなかった。同区長は、同年五月三〇日、原告に対し、新たな外国人登録証明書を交付したが、原告は、指紋押捺を拒否したままである。

この間、原告は、昭和五六年四月六日、親族訪問を目的とする韓国及び米国向け再入国許可申請をし、被告法務大臣は、これを許可した。続いて、原告は、昭和六〇年二月四日、女性コーラス団のピアノ伴奏を目的として、カナダ向け再入国許可申請をしたが、被告法務大臣は、前記の指紋押捺拒否の事情をも考慮して、同年三月一三日付でこれを不許可とした。更に、原告は、昭和六一年五月三〇日、福岡入国管理局小倉港出張所に出頭し、渡航先を米国、旅行目的を米国インディアナ大学留学、出発予定を同年七月一〇日、再入国予定を昭和六二年七月等として、再入国許可申請をした。しかし、被告法務大臣は、原告の外登法違反の状態が依然として継続し、しかも翻意の意思が認められないことなどから、原告の右の申請を許可することは相当でないと判断し、同年六月二三日これを不許可とし、同月二四日付文書をもって、原告にその旨を通知した。これが本件処分である。

4  なお、原告は、昭和六一年八月一四日、再入国許可を受けないまま東京入国管理局成田支局において入国審査官の出国の確認を受け、成田空港から米国へ向けて出国したが、昭和六三年六月二八日、新たに本邦への上陸を申請し、入管法所定の審査手続を経たうえ、同法第一二条第一項第三号に基づく被告法務大臣の上陸特別許可を受け、同法第四条第一項第一六号、同法施行規則第二条第三号に基づく新たな在留資格と在留期間(一八〇日)を付与されて本邦に在留することになった。更に、原告は、同年七月二〇日付をもって、別途、再入国許可を受け、同年八月五日出国した。

二(本件処分の適法性)

1(外国人の入国・在留・一時的渡航の権利)

外国人に対しその入国を許すか否かは、国家主権の作用として、条約の定めがない限り、当該国家の自由である。憲法第二二条第一項は、日本国内における居住・移転の自由を指すものであるから、入国の自由の根拠とはなりえない。同条第二項に規定する移住の自由には、海外渡航の自由が含まれると解されるが、これは、日本国民の一時的渡航目的による出国の自由を定めたものであって、外国人の入国(再入国)の自由を定めたものではない(出国した日本国民の帰国の自由は、この規定を俟つまでもなく、国民の絶対的権利として保障されている。)。

そもそも外国人を入国させるか否かは、国家の主権に係る事柄であり、それぞれの国の広範な裁量に委ねられるべき問題である。外国人に本邦への入国の自由が保障されているものではない。

2(国際人権規約B規約第一二条第四項、憲法第九八条違反の有無)

国際人権規約B規約第一二条第四項の「自国」が国籍国を指すことは、文理解釈からも、同規約第一二条第二項、第二五条の「自国」との対比からも自明である。また、審議経過を見ても、「自国」を「国籍国」の意味であることを明確に表明した国はあったが、逆に、「定住国」を含む趣旨であることを明示的に主張した国はなかった。本件処分が憲法第九八条第二項の規定する条約の誠実遵守義務に違背するものではない。

3(再入国許否処分の裁量と違法性の判断基準)

入管法によれば、再入国許可とは、日本国に滞在する外国人がその在留期間の満了前に再び入国する意図をもって本邦から出国しようとする際、法務大臣が事前に当該外国人に対し先の在留条件のまま再入国の許可を与えることをいう(同法第二六条第一項)が、この再入国の許可は、本邦に在留する外国人に対し、先に決定された在留資格及び在留期間のままで再入国することを認めるという処分に過ぎず、その者に新たな在留資格を付与するものではない。再入国を許可するに当たっては、当該外国人が在留資格を有していることが当然の前提でなければならない。このことは、本来、外国人は在留資格を有しなければ本邦に上陸することができず(同法第四条第一項)、通常の入国手続においては、入国審査官が外国人の旅券に上陸許可の証印をする場合に、当該外国人の在留資格及び在留期間を決定し、旅券にその旨を明示しなければならないとされているが(同法第九条第三項本文)、当該外国人が再入国の許可を受けている場合には、在留資格及び在留期間を決定することを要しないとされていること(同法第九条第三項但書)、再入国の許可の有効期間が一年以内で且つ在留資格を前提とする在留期間の範囲内に限られること(同法第二六条第三項、第一項)からも明らかである。

憲法第二二条第一項は日本国内における居住・移転の自由を、第二項は外国に移住する自由を保障する旨を規定するにとどまり、外国人が我が国に入国することについては何ら規定していない。国際習慣法上、国家は、外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、領土主権の作用として、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、受け入れる場合にいかなる条件を付すかを自由に決定することができる。法務大臣は、再入国許可申請に対する許否を決定するにあたっては、適正な出入国管理行政の保持という観点に立って、申請自体の必要性・相当性のみならず、当該外国人の在留期間の一切の行状、国内の政治・社会情勢、国際情勢・外交関係など諸般の事情を斟酌したうえ、的確な判断をしなければならない。このような判断は、事柄の性質上、出入国管理行政の責任を負う法務大臣の裁量に任せるのでなければ、到底適切な結果を期待することができないものと考えられる。このような点に鑑みると、入管法第二六条第一項前段等が法務大臣の再入国許否につき何ら処分要件等を規定しなかったとはいえ、許否の判断を法務大臣の広範な裁量に委ねる趣旨であることは明らかである。

このような再入国許可制度の法的性質に鑑み、その不許可処分が違法となるのは、法の認める裁量権の範囲を超え、又はその濫用があった場合に限られる。しかも、その裁量の範囲が極めて広範であることを併せ考えると、法務大臣の判断が全く事実の基礎を欠き、又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合に限り、裁量権の範囲をこえ又はその濫用があったものとして違法となるというべきである。

4(指紋押捺)

ア(指紋押捺制度)

外国人登録令(昭和二二年勅令第二〇七号)によって、約六〇万人の外国人について新たな登録が実施されたが、当時朝鮮半島から多数の不法入国者が流入していたこと、登録申請事項にかかる外国人の身分事項等が我が国で十分に把握されておらず本人の申立てだけで登録せざるをえなかったこと、また、外国人登録証による配給受給のため二重登録・幽霊登録等の不正が続出したほか、他人名義の登録証明書を入手して写真を貼り替えて名義人になりすますなどの不正も多発して、外国人登録が在留外国人の実態を正確に把握するものとはいいがたい状況にあった。そこで、昭和二七年の外登法の制定に際し、外国人を誤りなく特定して登録すること、その後の人物の同一人性(登録の一貫性)確認手段として、指紋押捺制度が採用され、昭和三〇年四月から実施された。外国人の指紋押捺制度は、その人物を正確に特定して登録するうえで必要性の極めて高いものであり、指紋は、万人不同・終生不変という特性を有し、簡便且つ最も確実な手段である。この制度の目的の第一は、外国人の登録・特定の正確性を維持することにあり、当該外国人を誤りなく特定し、人物の同一人性を確認するため登録原票に指紋を押捺させるとともに、これを市区町村において保管し、全国各地に在留する外国人の指紋原紙を法務省が集中管理し、更に、携帯が義務づけられている登録証明書に指紋を押捺させ、必要に応じ人物の確認を的確に行うことができるようにしている。また、目的の第二は、不正登録等の発見及び防止にある。指紋押捺制度は、現在のところ、外国人登録制度にとって不可欠の前提である人物の特定・同一人性の確認を実現するうえで最も客観的・合理的な方法であり、これに代替する手段はない。

イ(指紋押捺と憲法第一三条、第一四条、国際人権規約B規約第二条第一項、第二六条違反の有無)

憲法第一三条の中に外国人の指紋を採取されない自由又は権利が含まれるかは疑問がないわけではないが、仮に含まれるとしても、このような自由又は権利の保障は、「公共の福祉に反しない」限度でしか保障されていないのである。ところで、指紋は、通常衣服に覆われていない部位である指先の体表の紋様であって、人目に触れうるものであり、指先の形状は人の身体的特徴あるいは精神的特徴とは結びついていないものであるから、指紋を知られることそれ自体によって、人が私生活の自由の一内容として秘密にしておきたい個人の私生活の在り方・思想・信条等が知られるものではなく、指紋押捺自体には、犯罪者扱いされる屈辱感等の精神的苦痛が伴うことを別にすれば、肉体的弊害もほとんどない。これに対して、国家が指紋を採取・保有及び使用することは、適正な外国人管理という公益目的を達成するために必要且つ合理的なものであるから、指紋押捺制度の採用・実施は、公共の福祉による制度として憲法の許容するところといわなければならない。従って、指紋押捺制度は、憲法第一三条に違反するものではない。

憲法第一四条、国際人権規約B規約第二条第一項、第二六条の法の前の平等は、絶対的平等ではなく、合理的理由による差別を許容するものである。現在の国際社会においては、国家の構成員である国民と非構成員である外国人との間に基本的地位の違いがあることは否定することができず、裁が国に在留する外国人の居住関係及び身分関係を明確にし、在留外国人の公正な管理に資することを目的とする外国人登録制度を設け、その登録の正確性を維持するため指紋押捺制度を採用したことには合理的な根拠がある。外国人に対して指紋押捺制度を設けているのは、日本国民の場合日本国民であることが明らかな限りそれ以上に同一人性を確認する必要がないのに比べ、外国人であることが明らかであるだけでは足りず、入国又は在留資格を有する者であることを具体的に確定しなければならないからである。外国人は、氏名・生年月日その他の身分関係が明確でないことが多く、一般的に見る限り、その在留期間が短く、係累が少ないなど我が国への密着性が薄いので、同一人性の確認には困難を伴う。指紋押捺制度を設けないとするならば、我が国に在留する資格のない不法入国者・不法在留者が在留資格のある外国人になりすますことが容易である。この点は、在日韓国人中のいわゆる定住外国人の場合においても、本質的な差異はない。従って、在留外国人の適正な管理を目的とする外国人登録制度とその登録の正確性を維持することを目的とする指紋押捺制度を採用したことには合理的な根拠があり、これをもって法の前の平等に違反するということはできず、憲法第一四条、国際人権規約B規約第二条第一項、第二六条に違反するものではない。

ウ(指紋押捺と国際人権規約B規約第七条、第一七条第一項違反の有無)

指紋押捺制度は、正当な行政目的のもとに必要性及び合理性があるから、国際人権規約B規約第七条の非人道的な若しくは品位を傷つける取扱いの禁止の規定に違反するものではない。

また、指紋押捺制度は、「恣意的」なものでもなければ、「不法」なものでもないから、国際人権規約B規約第一七条第一項のプライバシー権の保障の規定に違反しない。

エ(外登法改正法の趣旨)

外登法は、昭和六二年法律第一〇二号によって改正された。その趣旨は、現在では、我が国を取り巻く国際環境が改善され、航空機の大型化による大量高速輸送時代を迎えて国際交流が一層活発化してきており、国内の経済・社会・雇用・治安などの諸環境も安定化しつつあり、これに伴い出入国管理をめぐる内外の情勢も、全体として見れば徐々に改善の方向に向いつつある。反面、不法入国者、不法在留者は、依然跡を絶たない。そこで、指紋押捺制度の維持が外国人登録制度の正確性を担保するため不可欠であるとの考え方を堅持しつつ、政策的考慮からその手続面に変更を加えることで在留外国人の心理的負担の軽減を図ろうとしたのである。外登法改正法は、従来の指紋押捺制度が不合理なものであったことを前提としているのではなく、原告の意図的で公然と行う外登法違反の行為を適法化するものでないことはもとより、被告法務大臣のした本件処分を違法化するものでもない。

5(本件処分の理由と適法性)

本件処分は、原告が昭和五六年一月九日北九州市小倉北区役所において確認申請をし登録証明書の交付を受ける際、同区役所職員から指紋押捺を求められたのを拒否し、更に、昭和六一年一月四日同区役所において確認申請を行った際にも指紋押捺を拒否したことを主な理由とする。

確かに、被告法務大臣は、昭和五六年四月六日、原告の再入国許可申請に対し、許可を与えた。これは、当時指紋押捺拒否者の数が極めて少く、指紋押捺拒否が大規模な運動として展開されていなかったため、原告が今後指紋押捺の説得に応ずる可能性が残されていたからである。ところが、昭和五九年から昭和六〇年にかけて指紋押捺拒否運動が全国的な広がりを見せ、在日外国人団体において、指紋押捺制度反対意思表明方法として、登録証明書の切替えに際して押捺しない意向を示し、当局の説得期間中も拒否するいわゆる留保運動を展開したため、指紋押捺を留保する者が続出し、指紋押捺拒否という行動が一つの社会運動として展開され、外国人の中に徐々に外登法を軽視する風潮すら生じ、我が国の外国人管理行政上由々しき事態となった。一方、原告は、昭和五六年一月一日に父崔昌華を中心とする家族会議において父らとともに指紋押捺拒否の決心をしたというのであり、同月九日の確認申請の際に指紋押捺を拒否した。原告は、昭和六〇年二月四日女性コーラス団のピアノ伴奉者として米国・カナダに向うべく再入国許可申請をし、同年三月一三日被告法務大臣による不許可処分を受け、更に、同年八月二三日福岡地方裁判所小倉支部において指紋押捺拒否を理由とする外登法違反により罰金一万円に処する旨の有罪判決を受けたが、原告の指紋押捺を拒否する態度は一貫して変わらなかった。外登法は、我が国の国会の審議を経て成立した法律であって、これを踏みにじる原告の行動は許されるべきものではない。原告は、指紋押捺を拒否することが外登法違反に当たる行為であることを十分に承知しており、切替えの申請や再入国許可申請の際指紋を押捺するよう説得されながら拒否していたもので、法律に定められた義務の意図的な不履行である。原告が外国人として滞在国である我が国の在留外国人に対する管理上の規制を受けるのは当然のことであり、原告の右行為は、外国人登録制度の基本的秩序を乱すものであって、我が国における外国人の公正な出入国や在留の管理を危うくするものであり、外国人の滞在国において許される在留活動の範囲を逸脱するものである。

そこで、被告法務大臣は、昭和六一年六月二四日、前回不許可にした時点にもまして、原告が今後指紋押捺の説得に応ずる見込みが明らかにないものと認め、外登法に対する遵法精神を著しく欠如するものと判断し、その他申請自体の必要性・相当性・原告の外国人としての在留中の一切の行状・指紋押捺拒否が社会運動化している国内の政治社会情勢・国際情勢・外交関係等諸般の事情を総合判断し、本件処分をした。

三(協定永住許可の失効・協定永住資格の喪失)

1(協定永住資格の沿革及び性格)

日本国との平和条約(昭和二七年条約第五号)が昭和二七年四月二八日に発効したことにより、戦前から日本に居住する朝鮮半島出身者とその子孫は、右発効の日において日本の国籍を喪失することになった。平和条約発効後の在日韓国人の日本在留上の法的地位に関しては、「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律」(昭和二七年法律第一二六号)、出入国管理令(昭和二六年政令第三一九号)、特定の在留資格及びその在留期間を定める省令(昭和二七年外務省令第一四号)によって在留資格が与えられ、在留期間が三年とされていた。これは、これらの者がかつて日本国籍を有し、戦前から本邦に居住していた者、又はその子孫であるという特殊な事情を考慮したものである。これらの者のうち大韓民国の国籍を有する者の我が国における法的地位及び待遇を定めるため、日韓地位協定が結ばれ、出入国管理特別法が制定され、申請期間内に申請すれば、協定永住資格が与えられることになった。

出入国管理特別法は、我が国における外国人の出入国の管理に関する一般法である入管法の特別法として制定されたものであるから、出入国管理特別法に規定がないものについては入管法の規定及び法理によることになる。日韓地位協定第五条、出入国管理特別法第七条も、このことを明らかにしている。

協定永住資格と入管法上の一般の永住資格とを比較すると、ともに在留活動に制限はなく、且つ、退去強制事由に該当する場合を除き、当該外国人が本邦に在留を希望する限り、自己の意思に反して国外に退去させられることがないという点では共通しているが、許可要件及び退去強制事由において差異がある。許可要件については、昭和五六年法律第八五号をもって改正された入管法附則第七項による特例永住許可を除き、一般永住資格がその外国人の素行が善良であり独立の生計を営むに足りる資産又は技能を有することのほか、その者の永住が日本国の利益に合すると認められるときに限って許可される(入管法第四条第一項第一四号、第二二条第二項)のに対し、協定永住資格は、日韓地位協定第一条1及び2に規定する要件をもって羈束的に許可されている。また、退去強制事由についても、協定永住資格者は、一般永住資格者を始めとする一般の在留外国人に等しく適用される入管法第二四条第四号の各事由が当然に退去強制事由になるのではなくて、これをより限定的に列挙した日韓地位協定第三条所定のいずれか(出入国管理特別法第六条第一項各号)の一つに該当することが必要とされている。

2(協定永住許可の失効・協定永住資格の喪失)

このような資格の取得に当っての特例と一旦付与された協定永住資格の存続要件の問題とは別問題である。協定永住資格も、制度の沿革からすれば、本邦に在留することができるという点において、在留資格の一態様として設けられたものである。一旦付与された協定永住資格の存続要件は、一般法である入管法によることになるから、日韓地位協定第四条による種々の特典を除けば、一般在留資格と何ら変るところはないというべきである。言い換えれば、協定永住資格の場合も、一般在留資格と同様に、その存続は、当該外国人と本邦との場所的結合状態が維持されていることを前提としており、この場所的結合関係が失われれば、協定永住許可も失効する。

従って、永住許可を受けた者であっても、入管法所定の再入国許可を受けないで本邦から任意に出国し、あるいは本邦から退去強制されるなどにより場所的結合関係が失われれば、永住資格も、当然に喪失することになる。

以上により、原告の協定永住資格は、原告が昭和六一年八月一四日、再入国許可を受けないまま本邦から出国した時点で当然に喪失した。

第六  本案について被告らの主張に対する原告の反論及び原告の主張の敷衍

一(本件訴訟の歴史的背景)

1(在日韓国人・朝鮮人の形成)

在日韓国人・朝鮮人は、戦前の日本の植民地政策によって形成された。明治四三年の日韓併合以降日本国内の労働力補給のために強制連行等により移住させられ、その数二二〇万人といわれている。戦時中の生活は、辛酸を極め、多数の人命が失われた。昭和二〇年の日本の敗戦に伴い、大多数が帰国したが、戦後処理と朝鮮戦争に連なる日本国内及び朝鮮半島の社会的混乱等の事情により、帰るに帰れない人々が日本に定住するところとなった。その数約六〇万人で、現在の在日韓国人・朝鮮人のルーツである。

2(日本国籍の喪失)

在日韓国人・朝鮮人は、戦前、日本国籍者とされていた。昭和二七年、日本国との平和条約の発効に伴い、本人の意思とは無関係に一方的にその日本国籍はなくなったものとされた。一方で恩給等の戦後補償の対象から外されるなどその生活に特段の保護は与えられなかった。他方で「外国人」として取り扱われることにより、外国人登録・登録証の常時携帯義務・退去強制等その生活を制約し、時には破壊するような管理制度の下に置かれることになった。

3(指紋押捺制度と再入国不許可)

このような管理制度の一つに指紋押捺の強制があった。

それは、戦前の管理を連想させ、また、犯罪者同然の扱いであるとして、日常的な被差別体験に基づく民族的被差別感と直結した。「外国人は、在留期間も短く、係累も少ないから、同一人の確認が困難であり、指紋によって特定するほかはない。」と法務省の説く一般論は、到底在日韓国人らの納得できるものではなかった。在日韓国人らは、外国人登録をしている在留外国人の大多数を占め、戦前から日本国に定住し、二世・三世ともなれば生まれてから死ぬまでこの国に住み、家族に囲まれ、子供を生み育て、そして日本人とともに生活しているからである。こうして、指紋押捺義務に対する良心的拒否者が生まれ、次第に日本人をも巻き込んだ指紋押捺制度撤廃運動となった。これに対し、日本政府は、皮相的な運動改変や法改正を準備する一方で、外登法に刑事制裁があるにもかかわらず、指紋押捺拒否者に対し更なる制裁として、また指紋押捺拒否を断念させる手段として、再入国不許可処分を課した。

4(指紋押捺制度の非合理性)

ア(日本国の指紋押捺制度)

制度として指紋を採取している他の国々は、自国民からも指紋を採取しているか、出生地主義のため二世以降は外国人ではなくなる国であるかのいずれかである。昭和六二年の外登法改正法以前の制度は、外国人からだけ、国家との結び付きの程度とは関わりなく、何世代にもわたって同一人から繰り返し指紋を採るという特異なものであった。従って、諸外国の立法例を参照するのであれば、むしろ、日本国の制度の異様性を問題にすべきである。また、戦前において、朝鮮人支配の手段として、特高警察が指紋採取を行っていた事実も銘記されねばならない。

イ(指紋押捺制度の成立)

法律上外国人登録制度に指紋押捺制度が導入されたのは、昭和二七年である。その経緯について、被告らは、その当時の在留外国人に関する不正登録制度等の除去を根拠としているが、このことは、公式記録と一致しない。即ち、昭和二六年の国会議事録によれば、朝鮮戦争によって朝鮮半島からの難民の流入等を危惧した当時の立法者が非常事態立法の一環として外登法に指紋押捺制度を導入した。指紋押捺制度の異様性は、ここに端を発している。導入当初は、二年毎に繰り返し指紋を採取して照合するというものであった。

ウ(指紋押捺制度の変遷)

指紋押捺制度導入後は、立法当初予測された非常事態には至らず、国内外情勢の安定に伴い、一年未満の在留者の指紋押捺義務の免除(昭和三三年)・換値分類の廃止(昭和四五年)・再交付時の十指指紋の廃止(昭和四六年)・指紋原紙への押捺省略(昭和四九年)という経過で、指紋押捺制度は、形骸化の一途を辿った。このうち、換値分類の廃止と指紋原紙への押捺省略が重要である。

先ず、換値分類とは、指紋の特徴を五桁の数字に置き換えて分類するものであって、指紋照合に用いられる技術である。これが昭和四五年に廃止されたということは、法務省が外国人登録証の切替時に採取した指紋を厳密に従前の指紋と照合することを放棄したことを意味する。

次に、指紋原紙への押捺義務は、法務省送付用の指紋を採取するためのものである。法務省は、昭和四九年、二回目以降の指紋押捺の場合には指紋原紙への押捺を省略してよい旨の通達を発している。このことは、法務省が登録証切替時に採取した指紋そのものを入手しないことを意味する。従って、この時点で、切替時毎の指紋採取は、実質的な意味を失った。このような運用変更は、昭和六二年の外登法改正法以後と同様の運用を肯定するものであった。指紋原紙への押捺は、昭和五七年に再開の指示が出されたが、実際に指紋原紙の採取ができたのは、その次の大量切替時であった昭和六〇年で、法務省は、昭和四六年からの約一五年間、二回目以降の指紋を入手しなかった。そして、昭和六二年には、二回目以降の指紋押捺義務を原則として廃止する外登法改正法に至った。

エ 以上のように、立法事実及びその後の運用実態からみれば、指紋押捺制度は、昭和四五年頃から既に定期的な指紋採取と照合による同一人性の確認という機能を喪失してしまっている。原告の指紋押捺義務違反は、全くの形式犯に過ぎない。

二(事実経過)

1(協定永住資格の取得)

原告の母方の祖父母は、戦前、日本国籍者として渡日し、戦後も日本国に定住した。原告は、その直系卑属であり、昭和四四年一〇月一日、協定永住資格を取得した。原告は、在日三世であり、母や兄妹も協定永住資格を得、父を含めて家族全員が日本で暮らしている。

2(指紋押捺拒否)

原告が指紋押捺拒否の決意をしたのは、日本社会に対して自分達の置かれている地位や現状を問いかけたかったからであり、また、積極的に訴えかけないと現状を変えることはできないという思いからであった。

3(再入国不許可・出国・帰国)

指紋押捺拒否後の昭和五六年、原告がピアノ伴奏者として米国へ出国する際、再入国許可が下りた。しかし、全く同じ目的でカナダヘ出国する際には、再入国不許可となった。日本国政府は、方針を変更したのである。原告は、ジョルジュ・シェボック教授の了解を得て大学入学の手続をとり、昭和六一年五月三〇日、留学のため再入国許可申請書を提出したが、不許可となった(本件処分)。米国は、人道的見地から査証の発給を認めた。原告は、出国を決意し、同時に、自分の故郷が日本であると思っていることを明確にするため、本訴を提起した。出国手続に際し、入国審査官からこのまま出国すれば協定永住資格を失うことを了解して出国するという趣旨の書面に署名するよう求められたが、その根拠を問い、署名を拒否した。出国に当って、原告の外国人登録証は取り上げられ、原告の外国人登録は閉鎖された。

原告は、出国後一年を経過する前に、ニューヨーク日本大使館及び法務省に対し、再入国許可延長申請を提出した。再入国許可の期間が原則として一年とされていることから、そうした形式的な点を捉らえて協定永住資格喪失の扱いを受ける不安があったからである。理由として「『協定永住許可』身分を保持するため」と記載した。

原告は、出国後二年を経過する前に帰国することにした。再入国許可の期間が最長でも二年とされていることから、二年以上日本を離れていることによって、もはや永住の意思がなくなったと扱われたくなかったからである。

原告は、帰国に当り、日本行航空機の搭乗手続をしたが、航空会社から再入国許可がないことを理由に拒否され、日本の査証を取るよう言われたものの、それでは一般旅行者として日本へ入国することになるから、永住意思の放棄と扱われたくなかったので、ソウル行飛行機に搭乗し、途中日本で降りるという方法をとった。入国審査宮は上陸を認めなかった。協定永住資格があるから入国することができる筈だと主張したが、所定の異議申立手続をとらなければ国外に退去させると告知された。原告は、やむをえずその手続をとったが、その結果、本来入国資格のない者に対する例外的措置である法務大臣の裁決の特例という特別在留許可(一八〇日間)ということになった。

三(協定永住資格の性質と内容)

1(協定永住資格の性質)

協定永住資格の根拠である日韓地位協定及び出入国管理特別法は、「許可」という文言を用いている。これは、不許可もありうるという意味での「許可」ではない。歴史的経緯を踏まえ、日韓地位協定及び出入国管理特別法に定める者に永住権を付与するものであるから、不許可の裁量権行使が法的に認められていない。協定永住許可は、法的には本人の日本国永住の選択の届出に対する確認行為である。

協定永住資格は、属人的な歴史的事実とその法的確認に基づき日韓地位協定等により日本に永住することを基本として、日本国民と同様に納税義務を負う反面、在留中の活動内容には何ら制限がなく、再入国許可の優遇を受け(日韓地位協定討議の記録中日本側代表発言f項)、日本の公教育を受ける権利(日韓地位協定合意議事録第四条関係1)・生活保護の受給資格(同2)などを有し、当初から国民健康保険の加入資格を認められていた(同3)。

2(協定永住資格の失効・剥奪)

協定永住資格の失効・剥奪は、大韓民国国籍を喪失した場合の失効(出入国管理特別法第五条)・極めて重大な罪を犯した場合の退去強制(日韓地位協定第三条、出入国管理特別法第六条第一項、第二項。これは、入管法第二四条所定の一般の要件に比べると、大幅に限定されたものである。)に該当する場合以外は、明文上認められていない。協定永住資格の取得については、日本国での居住が要件となっているが、その存続についてまで日本国での居住継続が要件であるとする明文の規定はない。

四(「自国」に戻る権利)

1(海外渡航の自由)

当該国の国籍を持たない者でも永住することによりその国に生活の本拠を持つ者は、その国の国民と同様、海外渡航の自由が保障されるべきである(憲法第二二条)。このことを明確にしたのが国際人権規約B規約第一二条第四項である。

2(国際人権規約B規約第一二条第四項の「自国」の意義)

ア  国際人権規約B規約第一二条第四項正文にいう「自国」なる用語がその者の国籍国のみを意味するかどうかは一義的でない。米州人権条約・ヨーロッパ人権規約・難民条約などが「国籍」の語を用いているのに比べると、「自国」なる用語が多義的であるとか、不正確であるとかいう指摘がされてきた。このような場合、審議過程等を考慮して、その意味を確定するというのが国際慣習法であり、現在では条約法に関するウィーン条約(昭和五六年条約第一六号)第三二条によって明文化されている。

イ(国際連合での審議過程)

国際人権規約B規約の草案は、国際連合経済社会理事会の下部機関であった人権委員会が起草した。現在の第一二条第四項に相当する部分の審議経過は、以下のとおりである。

第五会期において、レバノン案に対するフランス修正案が可決され、この段階で「国民」の国籍国に「戻る」権利が基本的人権であることが確認された。

第六会期において、第五会期案をどこまで拡大するかに議論の焦点が移行した。会期前に各国の意見が文書で提出されたが、米国は、海外で生まれた国籍者の国籍国への入国の保障を含ましめるため、「戻る」を「入る」に置き換えることを提案した。他方、オーストラリアは、永住した外国人の海外旅行の保障を含ましめるため、「国民」という限定を外して「自国」に置き換えることを提案した。これらの提案に対して、レバノンは、米国修正案をオーストラリア修正案に同時に含ましめるため、オーストラリア修正案の 「戻る」を「入る」に再修正することを望んだ。また、チリは、オーストラリアの考えに同意しつつ、すべてのカテゴリーを含ましめる用語を「戻る」に置き換えることを希望した。しかし、米国とオーストラリアの対立は解けず、双方の修正案が裁決にかけられ、オーストラリア修正案は、賛成六、反対七、棄権一で否決された。

第八会期において、オーストラリアが再度修正案を提案し、権利主体を「市民又は国民」とし、「永久的住居」の保持も必要であるとした。オーストラリアは、第六会期での提案意図を維持して、永久的住居の概念が入らなければ「自国に戻る権利」は受け入れられないとの強い態度を示した。これにより、イギリスなどが妥協を図るため、世界人権宣言の用語を用いることを提案し、最終的に「自国」(世界人権宣言の文言)とするオーストラリア再修正案が提出され、これが採択されて人権委員会案となった。

人権委員会案における「自国」は、以上のように、妥協の産物として、世界人権宣言の用語を踏襲したものである。当該国家の国籍者に限定されるか否かという問題に絞っていえば、賛否両方のいずれの意見にも限定しないまま草案として採択されたというほかない。

人権委員会で起草された草案は、国際連合総会にかけられたが、実質的審議を担当したのは、第三委員会であった。

「自国」に戻る権利が国籍者に限定されるべきか否かに関しては、カナダが草案の用語が不明確であるとしてより限定的な修正案を提出した。しかし、三日後に同修正案を撤回してしまったため、明確な形での結論が出されないまま、国際連合総会で現行の国際人権規約B規約第一二条第四項が採択されることとなった。この段階で、右第一二条第四項は、国籍国と永住国の双方を含むものとして確定した。

ウ(国際人権規約B規約第一二条第四項の国内法化)

国際人権規約B規約第一二条第四項が以上のような内容をもつのであるから、日本国が審議経過における国籍国に限るとの発言の趣旨を貫徹しようと思えば、その発言に沿った留保又は解釈宣言をする必要があった。実際、イギリス・イタリア・オーストラリアなどの各国は、国内法体系に従って、右第一二条第四項について留保をしている。日本国が容易にできるこれらの留保又は解釈宣言をせずに国際人権規約B規約を批准したことにより、永住外国人の帰国権の保障を受け入れたと見ざるをえない。

3(自国に戻る権利の内容)

原告は、日本国籍を有していないが、協定永住資格という最も保護された永住資格を持ち、日本国に定住しているのであるから、国際人権規約B規約第一二条第四項の権利主体である。そして、その権利行使の内容は、協定永住資格を保持したまま出国し、帰国することができるというものである。

4(自国に戻る権利と協定永住資格の確保)

当該国の国籍を有しない永住権者の場合、自国に戻る権利の保障対象は、当該国に永久的住居を有するものでなければならない。当該国の国籍を有しない者は自由に出国することができ、永住意思の放棄もできるとされているから、このような者が一時的に出国する場合は、それに先立ち、当該国に対して、出国が永住意思を放棄するものでないことを表明し、その確認を受けておく必要がある。この永住意思存否の判断要素は、純粋に主観的な意思表明だけでは足りず、家族の居住や就業先の存在等ある程度客観的に裏付けられているものでなければならない。出国に先立つ永住意思の表明及びその確認と目される制度は、日本国の場合、再入国許可制度しかない。従って、永住権者が再入国許可の申請をすることは、永住意思を表明するものと看做されるべきである。

5(原告の永住意思の表明とその裏付けとなる客観的要素の存在)

原告の場合、事実経過に照らせば、永住意思の表明に欠けるところはなく、またこれを裏付ける客観的要素にも事欠かないというべきである。即ち、原告は、適法に再入国許可申請をし、法務大臣の判断(永住意思表明の確認)が下るまで日本国内に待機していた。本件処分を受けて、これに対する迅速な行政救済措置が定められていないため、本訴を提起した。原告の出国は、やむをえざる緊急避難行為であり、適法な出国手続を経るとともに、担当係官から求められた永住意思喪失を承認する書面に署名することを拒絶した。再入国許可の期間が一年とされていることから、その経過以前に被告法務大臣に対して永住意思を喪失していない旨を書面をもって通告した。再入国許可期間の延長期限が二年間であることから、その経過する以前に帰国した。このように、原告の永住意思の表明は、現行法制度を尊重して適切になされており、被告法務大臣もその都度確認することができたものである。

また、原告の永住意思を裏付ける客観的要素としては、父母兄妹がいずれも日本に永住していること、出国の目的自体が留学であることなどであり、原告の出国が一時的なものに過ぎないことが明白である。

6(被告国の協定永住資格喪失の取扱いの違法性)

被告法務大臣は、原告の出国に際して、原告の外国人登録を閉鎖し、本訴においても原告の協定永住許可が失効したものと主張し、原告の帰国に際しても、協定永住資格保有の主張を認めず、国外退去を告知し、法務大臣の裁決の特例という形で僅か一八〇日間の特別在留許可しか与えないという措置をとった。この措置は、国際人権規約B規約第一二条第四項に反し違法である。

五(本件処分の違法性)

1(現行再入国許可制度の違法性と本件処分の違法性)

原告の一時的出入国について、これを「恣意的に」制約することはできない(国際人権規約B規約第一二条第四項)。この「恣意的に」という要件は、厳格に解釈しなければならない。単に「合法的」ということだけでは「恣意的でない」とはいえない。被告らは、入管法第二六条の文理解釈を根拠に、被告法務大臣の自由裁量をもって再入国許否処分ができるというが、同法条は、上位規範である国際人権規約B規約第一二条第四項、憲法第九八条に違反するものである。本件処分は、このような違憲・違法な法律に基づくものであるから違法である。

2(本件処分の処分理由と違法性)

ア  本件訴訟の争点は、永住権を有する外国人の留学を目的とした海外渡航権の存否である。憲法及び国際人権規約B規約によって認められる永住外国人の法的地位からすれば、法務大臣は、原告の再入国許可申請に対し、その裁量権につき一定の制約を受け、具体的には旅券法又は難民条約に準じた要件でしか、これを有しない。本件処分は、この要件を充足しない理由でなされたものであるから、違法である。

イ  本件処分理由は、国際人権規約B規約第一二条第四項の要件を充足していないから違法である。

国際人権規約B規約第一二条第四項にいう「恣意的でないこと」とは、単に合法的であるということだけでは足りず、その内容の公正さが要求される。日本国の出入国管理に関する法律中、旅券法第一三条第一項第五号、入管法第六一条の二の六第一項但書の規定では、いずれも国益や公安を根拠としてしか海外渡航を制限しえないことになっている。日本国で「恣意的でない」といいうるためには、右規定と同様の根拠がなければならない。本件処分の理由は、結局のところ、原告が指紋押捺を拒否したということに尽きるのであって、右の要件を充足していない。

原告が従前に指紋押捺に応じたことがあり、被告法務大臣が原告の指紋を保有していることは、被告らの認めるところであり、また、原告の外国人登録及びこれに伴う同一人性の確認については、原告の出国直前の時点においても、担当自治体によって行われており、原告の同一人性確認につき疑念が持たれたことは一度もない。他方、本件処分の僅か七か月後の昭和六二年一月には、法務省自ら二度目以降の指紋押捺義務を廃止する外登法改正案を発表し、同年三月右改正案が閣議決定され、同年九月外登法改正法が成立し、昭和六三年六月一日から施行された。

被告法務大臣は、外登法改正法以後において、一度も指紋を押捺していない永住外国人に対して再入国許可をしている。

ウ  以上の原告の個別的事情、被告国の制度維持上の事情を総合しても、原告が本件処分時に日本国の利益又は公安を害すると認めるに足りる合理的な理由は見出しがたい。また、被告法務大臣は、指紋押捺拒否の社会運動化を本件処分の根拠として挙げている。従って、被告法務大臣は、指紋押捺拒否者の同一人性確認ができないからとか、個々的な「遵法精神」の有無ではなくて、まさに「社会運動」を抑圧するために再入国拒否権限を濫用したと断ぜざるをえない。本件処分は、原告の自国に戻る権利をまさに恣意的に制約したものであり、国際人権規約B規約第一二条第四項に違反し、違法である。

(証拠)<省略>

理由

第一(本案前の主張に対する判断)

一(本件処分取消しの訴え)

1  請求の原因一1の事実のうち原告が父方から見て在日二世、母方から見て在日三世であることを除くその余の事実、同一2の事実のうち原告が出生以来日本国に居住していることを除くその余の事実、同二の事実は、当事者間に争いがない。

協定永住資格を有する者の出入国及び在留に関しては、日韓地位協定第五条(「第一条の規定に従い日本国で永住することを許可されている大韓民国国民は、出入国及び居住を含むすべての事項に関し、この協定で特に定める場合を除くほか、すべての外国人に同様に適用される日本国の法令の適用を受けることが確認される。」)の規定を受けて定められた出入国管理特別法第七条の規定によって、同法に特別の規定があるもののほかは入管法によることとされているので、その特別の規定の主たるものとして永住許可要件(日韓地位協定第四条による羈束的許可)・退去強制事由(出入国管理特別法第六条が入管法第二四条各号所定より更に厳しく制限)・大韓民国の国籍喪失による失効(出入国管理特別法第五条)・種々の特典(日韓地位協定第四条)があるが、在留活動・退去強制事由に該当する場合を除き、当該外国人が本邦に在留を希望する限り、自己の意思に反して国外に退去させられないという点では、入管法に定める一般の永住資格と差異がない。従って、出入国及び在留に関しては、協定永住資格を有する者であっても、入管法に定める一般の永住資格者の場合と同様に、一般法である入管法の規定によるということになる。結局、協定永住資格は、本邦に在留することができる資格という点では、在留資格の一態様と見るべきであるから、在留資格の存続要件は、一般の永住資格者と同様に、当該外国人と本邦との場所的結合状態の維持、つまり本邦に在留していることが前提になり、その反面、この前提を欠くときは、在留資格を喪失するものと解される。そして、入管法第二六条第一項所定の再入国許可とは、本邦に在留する外国人がその在留期間満了前に再び入国する意図をもって本邦から出国しようとする際、法務大臣が事前に当該外国人に対し先の在留条件のまま再入国することを許可することをいうのであるから、この再入国許可は、本邦に在留する外国人に対し、先の在留条件(在留資格及び在留期間)のままで再入国することを認めるという処分であり、当該外国人に対し、新たな在留資格を付与するものではない。従って、再入国許可には、当該外国人が在留資格を有していることが前提になる。協定永住資格を有する者についていえば、その者が在留資格を保持したまま再入国する意図をもって出国しようとする場合は、入管法第二六条に定める再入国許可を必要とし、逆に、再入国許可を受けずに本邦から任意に出国した場合は、在留資格を失うことになる。

原告が昭和六一年八月一四日再入国許可を受けずに本邦から出国したことは、当事者間に争いがない。<証拠>によれば、原告は、昭和六一年八月一四日、再入国許可を受けないまま東京入国管理局成田支局において入国審査官の出国の確認を受け、同日成田空港から米国へ向け出国したことを認めることができる。従って、原告は、この出国により、本邦における在留資格(協定永住資格)を喪失したものというべきである。

2  これに対し、原告は、本件処分の違法を主張し、本訴を提起した。

ア  原告の主張には、本邦における永住資格を有する外国人は、国際人権規約B規約第一二条第四項(「何人も、自国に戻る権利を恣意的に奪われない。」)の「自国」は、単に「国籍国」を指すだけでなく、「定住国」をも含むのであるから、永住意思の表明とこれを裏付ける客観的事実があれば、仮令再入国不許可処分があっても、出国の事実だけでは当該永住資格を失うことはないとの部分があり、<証拠>によれば、原告は、再入国許可のないまま本邦から出国するにあたり、成田空港において、入国審査官から、このまま出国すれば協定永住資格を喪失することを確認する旨の文書に署名することを求められ、これを拒んだこと、米国へ渡って一年を経過する直前の昭和六二年六月に、在米公館において再入国許可の有効期間延長願いを申請したが、係官から再入国が不許可であるから有効期間の延長はありえない旨告げられたこと、また、再入国許可の有効期間延長許可申請書なる書面(理由として「『協定永住許可』身分を保持するため」との記載がある。)を父崔昌華を介して法務大臣宛てに提出したが、法務省から法律上意味のないものとして返戻されたこと、更に、昭和六三年五月二四日付で被告法務大臣に宛て、協定永住資格の存続を理由に入国許可申請書なる書面を提出したこと、同年六月米国から本邦へ入国するにあたり、再入国許可がないので、我が国の査証を得るように勧められたのを断り、ソウル行の飛行機に搭乗し、途中日本で降りる方法をとったこと、同月二八日、本邦への上陸を申請したが、本邦における在留資格喪失のため入管法第七条第一項第一号所定の上陸条件に適合しないと認定され、国際人権規約B規約第一二条第四項の「自国に戻る権利」ありとして異議を申し出、結局、入管法第一二条第一項第三号に基づく被告法務大臣の上陸特別許可を受け、同法第四条第一項第一六号、同法施行規則第二条第三号に基づく新たな在留資格と在留期間(一八〇日)を付与されて本邦に在留することになったことが認められる。原告は、右認定事実をもって原告の永住意思の表明であると主張し、原告本人尋問の結果によって認められる原告の父母兄妹が我が国に居住していること、出国目的が留学であることをもって永住意思を裏付ける客観的事実であると主張する。

しかし、用語の通常の意味に従って解釈すれば(条約法に関するウィーン条約第三一条第一項(解釈に関する一般的な規則)「条約は、文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈するものとする。」)、国際人権規約B規約第一二条第四項の「自国」は、やはり、「国籍国」を指すものと解釈するのが自然である。国際人権規約B規約第一二条第二項(「すべての者は、いずれの国(自国を含む。)からも自由に離れることができる。」)の「自国」が「国籍国」を指すことが明らかなのと対比すれば、尚更、「自国に戻る権利」の「自国」も同一に解釈すべきである。そして、我が国が同様の解釈・認識のもとに右規約を批准したことは、<証拠>によって認められる。

もっとも、<証拠>によれば、例えば、難民の地位に関する条約(昭和五六年条約第二一号)では、明確に「国籍国」と表現している如く、国籍国を指す場合にはそのように明確にしているものもあること、また、研究者の中には、ヨーロッパ人権条約及び米州人権条約では、国際人権規約B規約第一二条第二項に相当する条項では「自国を去る権利」という語句が用いられているのに対し、同規約第一二条第四項に相当する条項では「自己がその国民である国家へ入国する権利」という語句が用いられているという例もあり、条約の各条項はそれぞれ成文化されるまでの経過・経緯があるので当該条項毎に検討のうえ解釈すべきであるとし、条約法に関するウィーン条約第三二条(解釈の補足的な手段)「前条の規定の適用により得られた意味を確認するため又は次の場合における意味を決定するため、解釈の補足的な手段、特に条約の準備作業及び条約の締結の際の事情に依拠することができる。a 前条の規定による解釈によっては意味があいまい又は不明確である場合」の規定によって、国際人権規約B規約の国際連合における審議経過を重視すべきものとし、その経過として、大略、「第六 本案について被告らの主張に対する原告の反論及び原告の主張の敷衍」四2ア、イの事実経過があって、「国籍国」に限定しようとする意見の国が明確に「国籍国」との用語をもって表現しようとしたのに対し、「定住国」を含ませようとする意見の国は、「永久的住居」を有する国との表現を加えようとした結果、妥協として世界人権宣言第一三条第二項(「すべて人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する。」)に使われている「自国」の用語に落ち着き、結局、国際連合総会で採択された時には、「自国」の用語に定住国を含ませるものとして右条項が確定したのであるから、そう解釈すべきであるとの見解を発表している者もあることを認めることができるけれども、仮に原告の主張するように国際人権規約B規約第一二条第四項の「自国」が「国籍国」のみならず「定住国」をも含ませるものとして確定したものであるとすれば、右「自国」という用語は、条約法に関するウィーン条約第三一条第四項にいう「特別の意味」を有するものということになるから、同条項によれば、「当事国がこれに特別の意味を与えることを意図していたと認められる場合」に該当しない限り、原告の主張するような解釈はできないというべきである。右に認定した事実経過を見るに、国際連合の審議において、当事国が「自国」に「定住国」の意味をも与える意図があったとすれば、「定住国」又は「永久的住居」という用語の定義付け、永住資格の要否、国籍国と定住国とが異なる場合の扱いなどの事項について、当然、審議がなされてしかるべきであろうと思われるが、それにもかかわらず、そのような審議がなされた跡は何も窺えない。この点から考えると、当事国において「自国」に「定住国」の意味をも与える意図があったとは到底認められないというべきである。

以上のとおりであるから、国際人権規約B規約第一二条第四項の規定をもって原告の協定永住資格存続を肯定することはできない。

イ  また、原告は、海外渡航の権利があると主張する。

国民が国家の構成員である以上、国民がその国に在住するという関係は、憲法で保障する以前の問題であるから、憲法第二二条第二項に規定する外国へ移住する自由には、日本国民が一時的に海外渡航する自由(海外旅行の自由)を含むと解される。この自由には、国民の出国の自由とともに、当然、絶対的権利として帰国の自由が保障されている。他方、国家は、特別の条約がない限り、外国人の入国を許可する義務を負うものではなく、国際慣習法上、外国人の入国(本邦から出国した外国人の本邦への再入国)の許否は、当該国家の自由裁量により決定されるものとされているから、本邦から出国した外国人が本邦へ入国(再入国)することは、「権利」として保障されているとはいえない。このことは、日本国民にとっては、海外渡航と祖国への帰国という関係になるが、本邦に在留する外国人にとっては、外国である日本から海外へ出国し、祖国でなく外国に過ぎない日本への再入国という関係になるので、この両者を同一に考えることはできない。この両者の差異は本質的なものである。憲法第二二条第二項の規定が外国人に対して日本国民と同様の保障を与えていると解する根拠はない。ただ、憲法の同条項は、本邦に在留する外国人に対して、日本国の主権に服している限り、外国へ移住する自由(日本国から出国する自由)を保障していると解されるが、それ以上に外国人が本邦へ入国(再入国)する点については、何ら触れていず、これを専ら立法に委ねていると解される。本邦に在留する外国人については、入管法に規定されていることは、前示のとおりである。

3  原告は、出国を理由に訴えの利益を欠くことになれば、原告の地位保全に関する司法救済がないに等しいと主張する。

原告の保持していた永住資格が協定永住資格という種々の特例の認められる在留資格であったことを勘案すると、確かに、原告に対する司法上の救済手段が結果的にはいささか手薄なものになってしまっているとの感は否めないが、このような事情は、本邦に在留するすべての外国人について共通する事柄であって、先に説示したとおり、現行法規上、協定永住資格者といえども、本邦への出入国に関しては他の外国人と同様の扱いを受けることとされている以上、特に法令上の根拠がない限り、協定永住資格者だけを特別に扱うことはできないというほかない。

4  してみれば、原告は、本件処分の前提となる在留資格を喪失したのであるから、本件処分を取り消してみても、改めて再入国許可処分を受ける余地はないというほかない。従って、原告には、本件処分の取消しを求める訴えの利益がなく、本件処分の取消しを求める訴えは、不適法であるというべきである。

二(協定永住資格存在確認の訴え)

1  先行して提起された本件処分取消しの訴えは、確かに再入国許否処分の基礎となる原告の本邦における在留資格(協定永住資格)の存在がその処分の前提になっていて、訴えの利益の存否の関係で原告が現在協定永住資格を有するか否かが争点となっている。しかし、その判決の効力の及ぶ範囲は、本件処分の違法性の有無であって、在留資格の有無は、前提問題として判断されるに過ぎず、判決によって直接確定するものではないというべきところ、後行の協定永住資格存在確認の訴えは、原告の当該在留資格の存否そのものが訴訟の目的であるから、先行の訴えと訴訟物を異にし、偶々先行訴訟の訴訟要件の判断と争点を共通にするだけに過ぎないと見られる。このように両訴を比較して見ると、後行の協定永住資格存在確認の訴えが重複起訴に当るということはできない。

2  被告国は、紛争の成熱性の欠如を主張する。その趣旨は、あるいは現在の確認の利益に置き換えて考えることができるというべきところ、そう考えてみても、原告が昭和六三年六月二八日本邦への入国にあたり上陸特別許可を得たことは、前記認定のとおりであり、その後これが現在に至るまで更新等により継続しているものと推認される。確かに、現在原告に対して退去強制等の不利益が目前に迫っているなどの事情があると認める証拠はない。しかし、原告の主張する協定永住資格と現に付与されている上陸特別許可とは在留期間も異なり、その他両者の間に差異があることから考えて、原告の協定永住資格の有無をめぐり、双方に争いが存する以上、現に紛争解決の必要性があるといって差し支えないと考えられる。

3  従って、原告の協定永住資格存在確認の訴えを不適法ということはできず、被告国の主張は、採用することができない。

三(損害賠償の訴え)

本件の損害賠償の訴えは、本件処分によって受けた精神的苦痛の慰藉料を求めるもので、抗告訴訟たる本件処分取消しの訴えの関連請求として併合提起されたものであるが、右抗告訴訟が不適法であることは既に説示したところであるから、行政事件訴訟法第一六条の併合要件を充たさないというべきところ、本件の損害賠償の訴えそれ自体独立の訴えとしての要件を備えていると認められ、専ら抗告訴訟と併合審判されることを目的としてなされたと認むべき特段の事情も見出せないので、訴訟経済の見地からも、本件の損害賠償の訴えを不適法ということはできない。

第二(本案についての判断)

一(事実関係)

請求の原因一1の事実のうち原告が父方から見て在日二世、母方から見て在日三世であることを除くその余の事実、同一2の事実のうち原告が出生以来日本国に居住していることを除くその余の事実、同二の事実、原告が昭和六一年八月一四日海外へ渡航した事実が当事者間に争いがないことは、前示のとおりである。原告が昭和五六年一月九日に指紋押捺を拒否した事実、被告法務大臣が原告の指紋押捺拒否後である同年四月六日に原告の米国渡航に関する再入国許可申請に対して許可を与え、原告がこれに基づき出国・再入国した事実、請求の原因四2の事実も、また当事者間に争いがない。そして、請求の原因四2の事実に至る事実経過については、先に認定したとおりである。

二(協定永住資格確認の請求)

協定永住資格確認の請求について、原告が既に当該在留資格を喪失したことは、先に説示したとおりである。

三(損害賠償請求)

原告は、本件処分の違法と協定永住資格を喪失したとする取扱の違法を主張するが、協定永住資格喪失については、既に判断したところであるから、本件処分について検討することになる。ところで、本件処分が原告の指紋押捺拒否をその処分理由としているので、本件処分の適否の判断に先立ち、先ず指紋押捺について検討する。

1  (指紋押捺制度)

ア  (指紋押捺制度とその変遷)

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

本邦における外国人の出入国及び在留に関する法令は、入管法と外登法を二本柱とする。外国人登録に関しては、第二次世界大戦前のことはさて措き、戦後、外国人登録令によって、約六〇万人の外国人について新たな登録が実施された。当時、朝鮮半島出身者(法的地位が未定であったが、同令の適用に関しては、外国人とみなされ、日本国との平和条約が昭和二七年四月二八日に発効したのに伴い、同条約第二条aにより我が国の国籍を失った。)が戦前から居住していたうえ、多数の不法入国者が朝鮮半島から流入していたこと、登録事項にかかる外国人の居住関係・身分事項等が我が国で十分に把握されておらず本人の申立てだけで登録せざるをえなかったこと、また、外国人登録証による配給受給のため二重登録・虚無人登録等の不正が続出したこと、また、同一人性確認方法として写真等に依存していた結果、他人名義の登録証明書を入手して写真を貼り替えて名義人になりすますなどの不正も多発したことなどから、外国人登録証明書切替えの都度登録人口が減少するなどの事態を招来し、外国人登録によっても在留外国人の実態を正確に把握するものとはいいがたい状況にあった。そこで、昭和二七年の外登法の制定に際し、外国人を誤りなく特定し、その後の人物の同一人性確認手段として、指紋押捺制度が採用され、昭和三〇年四月から実施された。外国人の指紋押捺制度は、その人物を正確に特定して登録する必要性の極めて高いものであり、外国人に対して指紋押捺制度を設けているのは、日本国民の場合日本国民であることが明らかな限りそれ以上に同一人性を確認する必要がないのに比べ、外国人であることが明らかであるだけでは足りず、入国又は在留資格を有する者であることを具体的に確定しなければならないからである。外国人は、受入国にとって、氏名・生年月日・本籍地その他の身分関係が明確でないことが多く、戸籍等を管理していない我が国がこれを確認することはできず、一般的に見る限り、その在留期間が短く、係累が少ないなど我が国への密着性が薄いので、同一人性の確認には困難を伴う。この例として、氏名・生年月日の訂正という全く別人物に変えるような訂正もあるといわれる。指紋押捺制度を設けないとするならば、我が国に在留する資格のない不法入国者・不法在留者が在留資格のある外国人になりすますことが容易である。この点は、在日韓国人中のいわゆる定住外国人の場合においても、本質的な差異はない。昭和三〇年四月に実施した後、不正登録が激減した事実から裏付けられる。

指紋は、万人不同・終生不変という特性を有し、簡便且つ最も確実な手段である。この制度の目的は、外国人の登録、特定の正確性を維持することにあり、この制度によって、当該外国人を誤りなく特定し、人物の同一人性を確認するため、登録原票に指紋を押捺させるとともに、これを市区町村において保管し、全国各地に在留する外国人の指紋原紙を法務省が集中管理し、更に、携帯が義務づけられている登録証明書に指紋を押捺させ、必要に応じ人物の確認を的確に行うことができるようにした。また、この制度により、多数の二重登録等を発見し、以後その例が少くなって、抑止的効果も含めて、不正登録等の防止にも効用を発揮した。

指紋押捺制度は、制定当初、外国人登録証明書の有効期間を交付の日から二年としていたが、昭和三一年(法律第九六号)の改正によって三年毎に切り替えることにし、昭和三三年(法律第三号)の改正によって、在留期間一年未満の者の指紋押捺義務を免除した。次いで、昭和四五年には、指紋の換値分類を廃止し、翌四六年には、外国人登録証明書再交付時の十指指紋押捺を廃止し、左示指一指にした。昭和四九年、指紋原紙への押捺を省略することができることとし、昭和五五年(法律第六四号)の改正法によって、新規登録申請期間の延長、再入国許可を受けた外国人の登録証明書の国外持出等を定め、翌五六年(法律第九五号)の改正法によって、都道府県における写票を廃止し、昭和五七年(法律第七五号)の改正法によって、登録義務年齢を一四歳から一六歳に引き上げ、三年毎の確認申請を五年毎に延長した。

イ  原告は、これらの改正によって、同一人性の確認のため指紋押捺の必要性がなくなったと主張するが、右認定事実に基づいて考えると、このような外国人登録証明書の国外持出や確認申請期間の延長などにより、登録人物の入替りの危険は増大したといえる。また、指紋押捺制度は、現在のところ、外国人登録制度にとって不可欠の前提である人物の特定・同一人性の確認を実現するうえで最も客観的・合理的な方法であり、これに代替する手段はないということができ、その必要性がなくなったとはいえない。

ウ  更に、原告は、外登法改正法を強調する。その趣旨は、この改正によって指紋押捺の必要性のなくなったことをいうと見られる。

前記認定のように、外登法は、制定以来数次にわたり改正されて、制度の緩和・整備を図るとともに、諸手続の簡素化、合理化を図ってきたといいうる。前顕証拠によれば、昭和六二年法律第一〇二号によって外登法改正法が成立したが、その趣旨は、現在、我が国を取り巻く国際環境の改善、航空機の大型化による大量高速輸送時代を迎えて国際交流の活発化とともに、外国人登録者も増え続けている一方、国内の経済・社会・雇用・治安などの諸環境も安定化しつつあり、これに伴い出入国管理をめぐる内外の情勢も、全体として見れば徐々に改善の方向に向いつつあること、反面、不法入国者・不法在留者は、依然跡を絶たず、不法就労外国人は急増しつつあること、そこで、指紋押捺制度の維持が外国人登録制度の正確性を担保するため不可欠であるとの考え方を堅持しつつ、政策的考慮からその手続面に変更を加え、指紋押捺制度についても、新規登録に際して指紋押捺した者には、以後特定の場合のほか指紋押捺義務を課さないことにし、在留外国人の心理的負担の軽減を図ろうとしたのであって、従来の指紋押捺制度が不合理なものであったことを前提としているのではないことが認められる。この認定事実に照らすと、外登法改正法は、従来の指紋押捺制度がそれぞれその時点において不合理・不必要なものであったことをいうものでないといわなければならない。

エ  原告は、指紋押捺制度が憲法第一三条に違反すると主張する。

国民のみならず、外国人が正当な理由もなく指紋を採取されるということは、憲法第一三条に反して許されないと解されるが、指紋は、通常衣服に覆われていない部位である指先の体表の紋様であって、人目に触れうるものであり、指先の形状は人の身体的特徴あるいは精神的特徴とは結びついていないものであるから、指紋を知られることそれ自体によって、人が私生活の自由の一内容として秘密にしておきたい個人の私生活の在り方・思想・信条等が知られるものではない。指紋押捺がこれまで犯罪捜査に役立ってきたということから、指紋押捺をもって犯罪者扱いされる不快感・屈辱感等の精神的苦痛が伴うことを否定することはできないとはいいうるものの、この点を別にすれば、肉体的弊害もほとんどない。これに対して、国家が指紋を採取、保有及び使用することは、適正な外国人管理という正当な行政目的を達成するために必要且つ合理的なものであるということができるので、このような目的から、指紋押捺制度の採用・実施は、公共の福祉による制限として憲法の許容するところといわなければならない。従って、指紋押捺制度は、憲法第一三条に違反するものではないというべきである。

オ  原告は、憲法第一四条、国際人権規約B規約第二条第一項、第二六条違反を主張する。

右の法の前の平等といえども、合理的理由による区別を許容するものである。現在の国際社会においては、国家の構成員である国民と非構成員である外国人との間に基本的地位の違いがあることは否定することができず、我が国に在留する外国人の居住関係及び身分関係を明確にし、在留外国人の公正な管理に資することを目的とする外国人登録制度を設け、その登録の正確性を維持するため指紋押捺制度を採用したことには合理的な根拠があることは、先に説示したところである。従って、在留外国人の適正な管理を目的とする外国人登録制度とその登録の正確性を維持することを目的とする指紋押捺制度を採用したことには合理的な根拠があり、これをもって法の前の平等に違反するということはできず、憲法第一四条、国際人権規約B規約第二条第一項、第二六条に違反するものではないというべきである。

カ  更に、原告は、指紋押捺が国際人権規約B規約第七条、第一七条第一項に違反すると主張する。

指紋押捺制度は、正当な行政目的のもとに必要性及び合理性があることは既に説示したところであるから、国際人権規約B規約第七条の非人道的若しくは品位を傷つける取扱いの禁止の規定に違反するものではない。

また、指紋押捺制度は、採取された指紋の利用方法如何によっては私生活の自由(プライバシー権)を侵害する危険があることを否定することはできないけれども、<証拠>によって認められるように、外国人登録そのものについては、登録事項の照会には応じることはあっても、採取された指紋は専ら在留外国人の同一人性確認・身分事項確定のほかには使用されることはないので、このように限定されるものである限り、「恣意的」なものでもなければ、「不法」なものでもないから、国際人権規約B規約第一七条第一項のプライバシー権の保障の規定に違反しないというべきである。

2(本件処分の適法性)

ア(再入国許否処分の裁量と違法性判断の基準)

先に説示したように、国家は、国際慣習法上、外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、領土主権の作用として、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、受け入れる場合にいかなる条件を付すかを自由に決定することができる。被告法務大臣は、適正な出入国管理行政の保持という観点に立って、再入国申請の必要性・相当性だけでなく、当該外国人の在留中の一切の行状、国内の政治・社会情勢、国際情勢・外交関係など諸般の事情を斟酌したうえ、的確な判断をしなければならない。この被告法務大臣の判断は、事柄の性質上、出入国管理行政の責任を負う被告法務大臣の裁量に任されるものである。

再入国許否処分の法的性格については、先に説示したとおりであるから、入管法の規定内容、再入国許否処分の手続構造などから考えると、入管法は、再入国許否処分について、被告法務大臣に当該外国人の経歴・性向・在留中の状況・海外渡航の目的・必要性等極めて広い範囲の事情を審査したうえ決定させようとしているものというべきである。また、入管法第二六条第一項が法務大臣の再入国許否の判断基準を特に定めていないのは、許否の判断を被告法務大臣の裁量に委ねているだけでなく、その裁量の範囲を広範なものにする趣旨からであると考えられる。

しかし、協定永住資格であれ、入管法上の一般永住資格であれ、永住許可を受けている者については、被告国から日本国内に永住することを前提に法的資格としての在留許可を得ているのであるから、その者にとって外国である日本に居住しているという理由のみで、濫りにその者の社会的・文化的生活が制約されるベきではない。そして、最近の国際交流の飛躍的増大等の社会情勢に鑑みると、前示のように一般的には日本国民の出入国の自由と外国人の再入国とはその性格に決定的な相違があるとはいえ、永住許可を受けている者が海外旅行・親族訪問等の目的で本邦を出国する行為も、憲法上の保障とはいえないものの、個人の社会的・文化的活動の一環として当然に尊重されるべきであり、合理的理由なくして再入国を不許可にすることは許されないというべきであって、その意味で被告法務大臣の裁量に一定の制約があることは否めない。

右のとおり、永住資格を有する者については、再入国の不許可は一定の合理的理由がある場合にのみ許されるが、その事由については明文上の規定はなく、必ずしも日本国民の出国の制限事由となる旅券法第一三条又はこれに準ずる事由に限られるものでないことは、日本国民の出国と外国人の再入国との性格の相違からも明らかであり、その事由に一定の合理性が認められる限りは再入国の許否は被告法務大臣の裁量に任されているものといえる。従って、被告法務大臣の裁量権の逸脱又は濫用があったというためには、被告法務大臣の判断の前提となる事実が欠けていたか、あるいは判断の事由が出国を制約する事由としては社会通念上著しく妥当性を欠く場合に限られるというべきである。

イ(本件処分の理由)

本件処分の主たる理由は、原告が昭和五六年一月九日北九州市小倉北区役所において確認申請をし、登録証明書の交付を受ける際、同区役所職員から指紋押捺を求められたのを拒否し、更に、昭和六一年一月四日同区役所において確認申請を行った際にも、指紋押捺を拒否したことにある。<証拠>によれば、原告は、昭和四九年に一回目の、昭和五二年に二回目の指紋押捺をしたが、昭和五六年一月九日、北九州市小倉北区役所において確認申請をした際、三回目にあたる指紋押捺を拒否したこと、これにより、外登法違反として、昭和五八年五月一四日、同区長の告発を受け、昭和六〇年八月二三日、福岡地方裁判所小倉支部において、罰金一万円の有罪判決を受け、福岡高等裁判所において控訴棄却の判決を受けたことが認められる。<証拠>によれば、昭和六一年一月四日の四回目の指紋押捺も拒否し、同年五月三〇日同区長発行の外国人登録証明書には、原告が指紋押捺を拒否したままであるとの記載があることを認めることができる。<証拠>によれば、本邦における在留外国人の指紋押捺拒否者は、昭和五五年頃から散見され始め、昭和五七年の改正後も、昭和六〇年の大量切替時には三〇〇〇名を超え、街頭の集会・行進を始め、国会等への要請運動を含めて、拒否運動を活発に行い、その後拒否者が減ったとはいえ、現在に至るも若干の拒否者を出したまま推移していることが認められる。

ウ(本件処分の適法性)

本件処分が憲法第二二条第二項、国際人権規約B規約第一二条第四項、憲法第九八条に違反しないことは、先に説示したとおりである。

エ(本件処分と裁量権濫用の有無)

被告法務大臣の本件処分は、その判断の根拠となった指紋押捺拒否とこれによる有罪判決を受けた事実の認定において、その基礎を欠いたものといえない。また、原告の行為は、刑事罰としては当時罰金一万円を科されたに過ぎないが、外国人の出入国及び居住の管理の基礎となる外国人登録制度を遵守しないことを公然と表明して行った意図的な外登法違反の行為であるから、もとより出入国管理とは無関係な事由ではなく、むしろこれと極めて密接な関係があるから、外国人が日本国内に居住するために当然要求される外国人登録に伴う指紋押捺を適法に行わない限りは出国を認めないとして再入国を不許可とすることが社会通念上著しく妥当性を欠くものとまではいえない。従って、本件処分が違法であるとは認めることはできない。

被告法務大臣が昭和五五年三月一日原告の春季学生研修を目的とする韓国向け再入国許可申請に対して許可を与えたことは、被告国の自陳するところである。また、被告法務大臣が原告の指紋押捺拒否後である昭和五六年四月六日に原告の米国渡航に関する再入国許可申請に対して許可を与え、原告がこれに基づき出国・再入国した事実が当事者間に争いのないことは、前示のとおりである。続いて、<証拠>によれば、原告が昭和六〇年二月四日女性コーラスのピアノ伴奏を目的として韓国・カナダ・米国向け再入国許可申請をしたが、被告法務大臣が指紋押捺拒否の事情をも考慮して同年三月一三日付でこれを不許可にしたことが認められる。

原告は、これら一連の許否処分から見て、本件処分が恣意的であると主張する。しかし、前記認定のとおり、昭和六〇年頃から指紋押捺拒否者の増加・指紋押捺拒否意向表明者の増加などその拒否運動の高まりがあり、そういった各許否処分時の諸事情を考慮すると、それぞれ理由のあることで、本件処分が恣意的なものとはいえず、許否判断の裁量権の範囲内であったということができる。

更に、<証拠>によれば、被告法務大臣が平成元年三月九日指紋押捺を拒否したまま一度も指紋押捺をしたことのない一八歳の在日韓国人に対し大韓民国への留学にあたり再入国許可をしたとの新聞報道があったことを窺うことができるが、これは、外登法改正法後のことでもあり、このことから直ちに本件処分に裁量権の逸脱があったとはいえない。他に本件処分に裁量権の逸脱があったと認めるに足りる特段の事情はない。

3  以上の次第であるから、本件処分の違法を前提とする原告の損害賠償請求は、理由がない。

第三 よって、原告の被告法務大臣に対する本件処分取消しの訴えを却下し、被告国に対する協定永住資格存在確認及び損害賠償の各請求を棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 富田郁郎 裁判官 大島隆明 裁判官 岡田 健)

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